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何者 Nanimono

何者

6.5 / 346人    n/A

導演: 三浦大輔
編劇: 三浦大輔
原著: 朝井遼
演員: 佐藤健 菅田將暉 有村架純 二階堂富美
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Rinko

2016-10-28 21:38:07

なんて何者なの?

************這篇影評可能有雷************

 K子さんに、「そういえば何者みたよ。すごいよかった。」とか言ったら、「そう?なんて何者なんだっけ?」と軽く聞き返されて、あろうことに言葉に詰まってしまう。映畫『何者』をみてしみじみしたのは、あの人から良く聞く「中田ヤスタカ」という名前がどういうことを意味しているのかを理解できたこと、シュウカツってすごくつらいのねとやってもいない就活にビビッている自分を慰めることができたこと、日本人って陰険でつまんないって思っているところが肯定されたようで楽しかったこと、とかだ。映畫の宣伝文句通り、人間観察エンターテインメント、エンターテインメントで完結してしまっている。
 人に本や映畫の感想を求められる時、実は結構困ったりする。見てきた絶対量は平均以上だから、「やばかった」「よかった」以外に言えることがないことはない。例えば、『何者』を見た後だって、最後ら辺同じ情景を強めのドラムのBGMで裏を再現する発想は面白かったとか、タクシーの下りのスダ君の顔に映る赤いライトが印象的だったとか、淺めの、具體的なことは、頑張ればなんとかいえる。でも、それより深いところ、私は本當に感じていたのだろうか。せめてわかろうとしたのだろうか。
 くやしさはなかったけど、映畫が面白かったので本も買って読んでみた。とても読みやすかったから1989年生まれの人の言葉は深みにかけると思いながら、キャラの個性が弱いと毒はきながらスラスラ読み進めた。読み終わった翌日に、雨の通學路を歩きながら、セリフたちが一つ一つ頭の中で何度も何度も再生する。「頭の中にあるうちは全て傑作だって。お前はそこからでられないんだ。」「お前こそもっと想像力のある人間だと思ったよ。」「十點でも二十點でも自分の中からだしなよ。」「もうあなたと同じ高さに立って同じ方向を見つめてくれる人はいないんだよ。私たちはもうそこまで來てしまったんだよ。」「何遍も読んだからおぼえちゃった。」「お前まだできてもいないものを見せびらかすな。だいなし。」「私たちはなにものかになれたきがするんだ。」「掲示板めっちゃみてるよ。たまには愛のある☆一つに出會うこともあるから。」そうだ。映畫の中で何回も何回も繰り返されるセリフ。小説でもしつこく出てくるキーワード。こんなにもはっきりと、作品は私に訴えているのじゃないか。
 想像力、自分だけが頑張っている、自分だけが、この世間に受け入れられがたい感性を持っているという人ならだれでも持つエゴから、ほんの少ししか見えていない他人の痕跡からその人の悩み、頑張り、決心を想像する。人を軽蔑するような心、笑うような心は想像力がない證。十點二十點より百點のものを出さないと失禮だと思うことは、上の階級の住民の特権。私たちはそうは言っていられない。がんばんなきゃ。前にいかなきゃ。自分の中ならださなきゃ誰もみてはくれない。あなたのことを認めてはくれない。みんな、格好つけて、自分じゃない何者かを演じている。実際になったことを夢見ている。けれどそうじゃない。自分は自分以外何者でもない。
內輪のSNSでなにかしらつぶやき、「いいね」をきにしながら、コメントもらったことをいちいち嬉しくて、そんな自分が少し恥ずかしくなった。スマホでパッと取れた寫真をパパッとスマホで色を調整。格好良く一言を書き足す自己満足は、それを見ている人のことはもちろん、自分のことも考えていない。瞬間的に自己顕示欲を満たす。ただそれだけ。その時間の使い方を改めようと、今日は何かを読んだ、見た、どこかへ出かけたらせめて500文字は書こうという、やはり自分に甘い発想にたどり著いた。
「みんながんばれ、わたしもがんばる。」

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